東京地方裁判所 平成9年(ワ)9912号 判決
原告 甲野三郎
原告 乙山春子
右両名訴訟代理人弁護士 門西栄一
被告 甲野春男
被告 甲野夏子
被告 甲野夏男
右三名訴訟代理人弁護士 矢野欣三郎
主文
一 甲野太郎の嘱託による平成七年七月二五日東京法務局所属公証人篠原昭雄作成同年第七六二号遺言公正証書による遺言が無効であることを確認する。
二 訴訟費用は被告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
主文同旨
第二事案の概要
本件は、甲野太郎の二男及び長女が原告となって、長男(死亡)の子供らを被告として、甲野太郎の嘱託による平成七年七月二五日東京法務局所属公証人篠原昭雄作成同年第七六二号遺言公正証書による遺言の無効確認を求めるものである。
一 争いのない事実等
1 甲野太郎(明治四〇年八月三日生れ。以下「遺言者」という。)は、平成九年一月一七日死亡した。同人の相読人は、次男・原告甲野三郎(以下「原告三郎」という。)、長女・原告乙山春子(以下「原告春子」という。)、長男・甲野次郎(平成七年二月一 一日死亡)の長男・被告甲野春男、長女・被告甲野夏子、二男・被告甲野夏男である。
2 公証人篠原昭雄は、平成七年七月二五日、遺言者の嘱託によるとして、証人中川雄三、証人矢野欣三郎立会の下に、平成七年第七六二号遺言公正証書を作成した(以下これを「本件公正証書」という。また、本件公正証書による遺言を「本件遺言」という。)。本件公正証書には、概ね左記の記載がある。
記
(一) 被告らに、東京都江戸川区南小岩八丁目宅地四〇五・四二平方メートル、二五八八番五宅地九九・一六平方メートルを、その各持分をそれぞれ三分の一ずつと定めて、相続させる。
(二) 原告春子に、東京都江戸川区南小岩八丁目宅地二五一・二三平方メートルを相続させる。
(三) 原告三郎に、群馬県館林市若宮町字若宮宅地五九八平方メートルを相続させる。
(四) 現金、預貯金債権、有価証券、動産等は、葬儀費用をその中から支出し、残余を原告春子に相続させる。
(五) 祖先の祭祀を主宰すべき者として、被告甲野春男を指定する。
二 争点
本件遺言は効力を有するか。
原告らは、「本件公正証書に押されている遺言者の印は偽造されたものであって、遺言者の印ではないから、本件遺言は効力を有しない。また、本件公正証書作成当時、遺言者は意思能力を有しなかったから、本件遺言は無効である。」と主張する。
第三争点に対する判断
一 関係証拠(甲第三ないし第七号証、第八号証の一、二、第九、第一〇号証、乙第一〇号証、証人甲野秋子、原告甲野三郎)並びに弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。
1 遺言者は、平成七年三月一七日、陳旧性脳梗塞症、糖尿病、胆石症、貧血症の病名で東京松永病院に入院した。
2 遺言者は、入院当初不穏状態にあり、大声で騒いだり、ベッドから降りようとしたため、全身抑制され、睡眠剤の投与を受けた。また、点滴を抜こうとするなどの異常行動もみられた。
3 遺言者は、入院前にも、甲野次郎の妻秋子に性的な関係を求めるようなそぶりを示したり、錯乱状態に陥ったりするなどの異常行動がみられた。
4 平成七年三月二七日、遺言者は脳梗塞の診断を受けた。遺言者の大脳萎縮は著明であり、前頭部に陳旧性脳梗塞とみられる低呼吸域が認められた。
5 同日、経管栄養の措置が執られた。また、四月六日には失禁している。
6 平成七年六月二七日、長谷川式簡易知能評価スケールによる遺言者の知能テストが実施されたが、遺言者の合計得点は三二・五点満点中の九点にとどまり、診療録に「Dementia(痴呆)」と記載された。右検査結果は、「知能低下+++(高度異常)」とされるものである(三一点以上が正常で、三〇・五から二二点までが「知能低下+(境界~軽度異常)」、二一・五から一〇・五までが「知能低下++(中等度異常)」、一〇点以下が「知能低下+++(高度異常)」とされる。)。
7 入院後、遺言者は、医師の問診に際して、ほとんど「はい」とか「はい、はい」といった程度の簡単な答しか返していなかった。ただし、診療録(甲第四号証)の平成七年七月一五日の項には、「よくしゃべるが意味不明」、同年八月二日の項にも「よくしゃべる」という記載がみられる。
8 平成七年一一月二日には、おむつに手を入れ、便が手に付くという異常行動をした。
9 東京松永病院で遺言者の診療を担当した秋山晴彦医師は、遺言者を痴呆状態にあったと診断している。
二 右認定事実によると、東京松永病院入院当時、遺言者は、脳に器質的な障害が認められ、かつ、本件遺言がされる一箇月前の平成七年六月二七日に実施された知能テストの結果によると、最高度の知能低下の状態にあり、担当医師は痴呆と診断していること、入院前後に異常行動がみられ、入院中医師の問診に際してほとんど「はい、はい」といった簡単な返答しかできない状態にあったことが認められるのであるから、本件遺言当時、遺言者は、痴呆の状態にあって、本件遺言をするに足る意思能力を有していなかったと認定するのが相当である。
この点に関し、証人篠原昭雄は、本件公正証書を作成するに当たっては、通常どおり、矢野欣三郎が事前に送ってきた書面に記載された遺言内容に従い一項ずつ遺言者に間違いないか確認したはずであるという趣旨を供述する。しかし、同証人は、その場面で遺言者がどういう言葉を発したか等について具体的な記憶はないとも述べており、結局、右供述からは遺言者が本件公正証書作成に当たって内容をどの程度理解して具体的にどのような返事をしたのか明らかでないから、同証人の右供述は前記認定判断を左右するものではない。また、甲第五号証によると、東京松永病院の看護記録には、平成七年六月一日の項に、「問いに返答あり。会話よし」、六月一九日の項に「活気あり」「はいはい、ありがとう」、六月二四日の項に「多弁で活気あり」、七月七日の項に「大丈夫ですとの由」、「笑顔」、七月一○日の項に「調子よいとの由」「活気、多弁」、七月一二日の項に「米寿のお祝いの紅白まんじゅうを面会人が持ってきて楽しそうに談笑されている」、七月一九日の項に「今日はまだ何にもやってもらっていないと訴える」、七月二二日の項に「多弁で活気あり」、七月二三日の項に「活気」、七月二九日の項に「そばがおいしいとのこと」といった記載がされていることが認められるが、前記のような知能テストの結果や医師の痴呆という診断、前記診療録の「よくしゃべるが意味不明」という記載などに照らすと、前記看護記録の記載も、前記認定判断を左右するものではない(多弁などといっても直ちにそれが遺言者の会話能力の高さを示すものであるとはいえない。)。そのほか、証人甲野秋子の供述(乙第九号証を含む。)中、本件遺言当時の遺言者の精神状態について述べる部分も、前記認定判断を左右するものではない。
そうすると、原告らの請求は理由がある。
三 結論
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官 大坪丘)